「遊びの歴史学」第3部 講義メモ
02:36:09 第3部開始
スール競技
現在のサッカー、ラグビーの祖先
スール:ケルト語で太陽、ボールを意味する
太陽崇拝
02:37:08 masakiueta「Soule」
ミサの後に行う
ルールはあってないようなもので、人数制限もなく、ボールを蹴ったり打ったりして決められたところにたどりつく
熱狂して腕や足を折ったり殺傷事故が起きた
02:38:48 スライド64:スール競技 1
ノルマンディ近代のスール競技の絵
コートがあるわけじゃなくて、街の中で行われていたんですね(植田)
街全体がコートみたいなもの。途中で人の家の中に入り込んで壊したりしていた(池上)
02:40:22 ebi_gyoza「ゲームの「くにおくん」みたいだなw」
この絵でも右下を見ると人が完全に倒されてます(植田)
関係ないところで暴力がふるわれたりとか…(池上)
ゴールもさまざまで、決められた街の壁や教会の門、地面に引いた線、ある家の煙突、水たまり、池など
池の場合は50人が水死したという記録もある
小教区対抗試合とか、独身者対既婚者とか、都市対都市などで戦う
独身者対既婚者の場合は、その都市の最後に結婚した助成がボールを最初に投げ入れるルール
02:40:46 ebi_gyoza「独身者対既婚者!アツいw」
夜までやっていた?(植田)
ボールが見えないんじゃないかと思いますけど(池上)
聖職者もこのゲームをしていたという記録がある
新しい聖堂参事会員が前年より大きいボールを調達するしきたりがあり、ボールがどんどん大きくなったという
のちボールの大きさに規定ができた
ボールは何で作られていた?(植田)
この時期は一般的には動物の毛やおが屑などを皮でつつんたもの(池上)
02:44:59 スライド66: 九柱戯
ボーリングの祖先だが、九柱戯自体も現在もヨーロッパで遊ばれる
Amazonで検索すると九柱戯セットが見つかる(植田)
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地域に根づいた伝統行事、クラブ組織もある
ピンが9本に決まってくるのは近代になってからで、それまでは本数はまちまち
投げるものも棒だったり、槌だったり
大元はゲルマン人の習俗で、ピンのかわりに骨を並べて石を投げて遊んでいた
巨人たちが骨のピンと頭蓋骨のボールを用いて遊んでいる、という民話が残っている
雷神を始めとする神々や天使らが天上で遊んでいる、という説話
ドイツでは中世の初期から修道院で行われていたと考えられている
倒す棒=悪魔、罪、異教徒を表す
12〜3世紀のドイツでは修道院、聖職者、都市の市民へと広まり、賭博遊びとなり社会問題に
ドイツからスペイン、フランス、イギリスへと広がる
精霊降臨祭で行われる
多くの市町村で専用の遊び場が作られた
王や議会が禁令を発したが、人気は衰えずやがて貴族の社交遊戯に
02:50:43 masakiueta「キーユ quille が九柱戯です」
宗教界でも、神学校の教育スポーツとして用いられた
いまでいう体育のようなものですね(植田)
02:52:08 スライド69:ザーラ遊び
中世人の熱狂させた賭博遊びのなかでも、とくにイタリアで流行った遊び
02:52:36 masakiueta「zara」
聖ベルナルディーノが説教で、ターブル遊び、チェス、ザーラ遊びを「あらゆる悪徳の巣窟であり、悪魔が祭壇場で行っているミサのようなものだ」と非難
3つのサイコロを投げる前に合計いくつになるかを宣言しておき、当たれば勝ち
別ルール:3つのサイコロの合計が 3〜6、15〜18になるとき「アザール」と叫び、勝ちになる
出なかった場合、次の人が投げて7〜14が出れば「レアザール」と叫び、勝ちになる
ダンテ「神曲」にも登場:煉獄篇 第6歌冒頭
ザーラ遊びでは、勝者の掛け金を見物人に分ける習慣があったことがわかる
02:57:09 tsk-himajin「見物して、金貰えるなら、無限につきまとうなw」
教会など宗教施設のまわりで遊ばない、などと禁じられたが、人々はやめなかった
13世紀半ば以降、公営の賭場を市当局が作ることになった
02:59:06 Okakyo「合法化と公立カジノ」
02:58:20 おわりに
ヨーロッパ中世という時代は、明るい時代だったかは分からないが、遊びの精神があちこちに息づいている時代であり、その根源は異教の流れをくむ民衆文化にあったのではないか(池上)
特徴としては、呪術や儀礼的な性格をとどめ、労働とは未文化であった
多くの遊びが未文化で、集団の社会関係を強化したり更新したりする役割も果たしていた
遊びの近代化を支えたのはさまざまな概念とその変化
霊的労働と世俗的労働
怠惰と閑暇
余暇という概念
13世紀前後、18,19世紀前後に遊びの性格・意味が大きく変化した
03:02:29 Okakyo「遊びに着目すると13世紀前後に一つの切れ目がみえてくる」
03:00:36 植田さんからコメント
遊びがテーマだけに楽しい、笑いにも満ちた講義でした(植田)
遊びをテーマに本を書かれたきっかけは?(植田)
ヨーロッパの歴史学のなかでも社会史や心性史に若い頃から興味を持ってきた。その中でもまとまった研究が出ないのが遊びだった(池上)
調べるのは写本の横の装飾などをひたすら見た?(植田)
そういう美術史的な資料も見るが、文学資料が多かったかもしれない(池上)
池上さんのこれまでの仕事を見ていくと、従来の歴史学の周辺とされてきたテーマを多く選ばれているが、これは楽しいからやられていた?(植田)
面白くないことはやりたくないですよね。面白いことが仕事になればいいなと(池上)
池上先生は新書や選書など一般に開かれた本をたくさんお書きになっていて、先生が大学院を過ごされるころに日本の中世史が社会に開かれた時期があったと思うが、そういうことは意識されている?(植田)
たまたまそうなったという面もあるが、専門の研究者として認められることが半分だとして、あと半分は一般の読者に開かれたような仕事をしないと歴史学は完成しないのではないかという思いがある(池上)
03:05:36 Okakyo「「一般に開かれないと、歴史学は完成しない」」
自分が学生のころの中世史ブームは、その後どこかに行ってしまったような…(池上)
今も歴史ファンの方は多いような気はするんですが(植田)
(当時のブームは)まあ、余裕があったんでしょうかね…(池上)
余裕がなくなると中世なんかやってる場合じゃないとなる。でも今につながることがわかるためにはもっと遡ったほうがいいかなと思う(池上)
われわれ一般人が遊びや歴史と向き合う時、堕落へもつながっている。そのときにどういう振る舞い方をしたらいいか?単に楽しむだけでいい?(植田)
歴史学は2つの目で見られている。一つは学会の恐ろしい学者集団の目で、もう一つは良識ある一般読者の目。その二重の目を意識しながらやっていくといいのでは(池上)
その間で歴史とうまく距離をとればいいと。(植田)
03:07:26 質疑応答
質問A:13世紀前後と18,9世紀に遊びが変わった歴史的背景は?
13世紀後半は都市が発展してごく初期の資本主義社会が生まれてきたことで労働と遊びの関係が対立的に変わってきた(池上)
18,9世紀は産業革命が広がり人間が阻害される面もあり、リクリエーション的な余暇や自由な時間が労働を促進するものとしてむしろ重視されるようになるという変化があった(池上)
質問B:遊びの中でも音楽がどのように反転していたか? 大衆音楽的なものは発展していたか?
大衆音楽はジョングルール(大道芸人)を中心として発展していた(池上)
宗教音楽ではない世俗音楽を宮廷楽士たちが演奏していた
都市楽師が祭りなどで演奏していた
カーニバルでは音楽は流れていた?(植田)
そうだと思います(池上)
質問C:中世のカーニバルなどでは身分や立場を逆転させる事ができたが、今の世の中で社長と社員が入れ替わるような機会というのはほとんどないと思う。遊びの視点を日本人がうまく取り入れるのに中世史から学べることはあるか
難しすぎますね…(池上)
中世が遊びの精神が満ちていたからといって、中世に戻りたいとはならない。今を少しづつでも良くしていくしかないわけで(池上)
ゆっくり考えます(池上)
03:19:50 eryngi「嬉しいよね、好きな本の著者のお話を直接聞けるの」
03:20:47 nowzil「先ほどの質問に対する先生のお考えはぜひ知りたいです。」
質問D:動物を用いた遊びが多く、現代の視点から見ると暴力的、残虐な遊びも多いが、当時の民衆はどう見ていたのか
今のような動物愛護の考えは薄く、動物を虐待するのにためらいがなかったのは確か(池上)
ただ、農民にとっての家畜は大切だし、騎士にとっての馬、犬、鷹は大切な関係だったという部分もある(池上)
カーニバルのような祭りで動物を犠牲にするのは儀礼的、呪術的な側面もあった(池上)
現在でもペットは可愛がるが、鳥インフルエンザが流行ればいくらでも殺す面がある。理屈が勝てば人間は残虐なふるまいをするということなのでは(池上)
質問E:池上先生が池上俊一『歴史学の作法』などで大事にされている全体史の試みは中世から18,9世紀の研究が多いが、20世紀の研究で全体史のような試みは成り立ちうるのか
時代が現代に近づくにつれ世界は複雑になり資料も無限大に近くなるため、なかなか難しいのは事実(池上)
全体史というのは一人の歴史家が全体を描きつくすということではなく、全体のイメージをもちながら細かいことを解明していくことだと思うので、その世界の全体のイメージがとらえたうえで個別の研究をすれば全体史に関わる仕事はできるのかもしれないと思う(池上)
03:25:09 Okakyo「だいたいこんな感じ、が許されない時代だからなぁ…」
質問F:子供の遊びと大人の遊びについて、大人の遊びについては13世紀ごろから労働との関係で変化が起きたという解説があったが、子供の遊びとの関係には変化はあったのか
子供の遊びについてはあまり大きな変化はなかったと思う(池上)
中世の子供たちはわりあい早くに親元を離れて徒弟奉公するので、徒弟奉公に入ることで別の遊びをするようになった部分はある(池上)
質問G:遊びのルールを誰がどうやって決めていた?
多くの場合、その場その場で決まっていた。中世末くらいからはルールブックも作られた(池上)
質問H:講義を聞いていてウンベルト・エーコの「薔薇の名前」を思い出した。「薔薇の名前」については?
「薔薇の名前」で中世末の「異端」というものがどういうものか多くの人に広められたのは画期的だなと思う(池上)
質問I:次回講義へのつなぎとして、コンピュータゲームのように世界に没頭してくような遊びは中世にはあったか?(植田)
賭け事の遊びは理性をかなぐり捨てて没頭する面はあるが…(池上)
ゲームに近く中世人が夢中になったものとしては騎士道物語や妖精物語がある。フィクションだがその中に入り込む感覚があったのでは(池上)